kobeoyaji's blog

神戸市在住の神戸大好きおじさんの日々の日記です。

2013屋久島・鹿児島の旅-15(念願の縄文杉)


大王杉、夫婦杉と通り過ぎ、
ウツボのような倒木を横目に進んでいきますと、、、
[2013-05-17][屋久島][縄文杉][登山]

ついに、縄文杉のエリアに入っていきます。

 

 
下にあるように、縄文杉のエリアは一方通行に。
そして、縄文杉の一部が倒れて落ちてくる可能性があって、
展望スペースの一部が封鎖されてます。
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なにやら展望台のような、整備された箇所が出てきますと、
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これを登るともうすぐ縄文杉か。
[2013-05-17][屋久島][縄文杉][登山]
振り返ると、こんな道を進んできたんやなぁ。
[2013-05-17][屋久島][縄文杉][登山]
登る途中で右上を見ると、これかな?
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ふ、ふ、太い!
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みんなが見てるということは、
[2013-05-17][屋久島][縄文杉][登山]
幻想的な霧の中に縄文杉が登場。
[2013-05-17][屋久島][縄文杉][登山]

縄文杉 - Wikipedia
1966年、屋久町役場の観光課長だった岩川貞次により発見され広く紹介される。発見当初は大岩杉と呼ばれていた。「縄文杉」という名前の由来は、当時推定された樹齢が4,000年以上で縄文時代から生きていることから来たという説と、奔放にうねる幹の造形が縄文土器に似ているからという説がある。

1976年、九州大学工学部の真鍋大覚助教授により、周囲の樹木の年輪測定、幹周の大きさなどから、樹齢7,000年以上と推定され話題になった。しかし、その後の調査で古木の周囲を3本程度の若い木が融合して包み込んでいる合体木である可能性が浮上し、外側の若い木の部分の年代測定では樹齢約2,700年と判定された(芯部の古木は樹体保護のため未調査)。ただし、鹿児島大学農学部が縄文杉のパーオキシダーゼをアイソザイム分析した結果、縄文杉は合体木ではなく一つの木であることが証明されている[要出典]。また、調査によって倒木更新の痕跡も発見されている。

また約7,300年前に鬼界カルデラから広がった幸屋火砕流によって、屋久島を含む九州南部諸島の大型植物は全滅したと考えられており、縄文杉の樹齢は古くとも4,000年以上はさかのぼらないとするのが定説になっている。一方で、後代に持ち込まれた記録の無いヤクシマザルなどの大型動物が現存していることから、屋久島全体が火砕流に飲み込まれたのではなく一部の動植物は生き延びたのではないかとする意見もある。

縄文杉を見るためには8-10時間程の登山を行う必要があるが、現在は保護のため杉の周りには立ち入ることはできない。

縄文杉の足元。
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こちらは危険なため進入禁止のエリア。
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ここから連続で縄文杉ーーーー!
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縄文杉はやっぱり風格が違う。
ほんと、太くてデカい。
ここまでになる自然ってすごいし、偉大やわぁ。
そら、人間ってちんまいなぁ。
見習わなあかん。

ということで、
荒川登山口から6時間20分でようやく念願の縄文杉到着です。
写真を撮りながらで、朝食したりしながらだったので結構ゆっくり目だったけど、
めっちゃ満足感で満たされました。

さて、これから同じ道を引き返していきます(汗)

帰り道はその16に続く。